Rei works  山田レイのホントにあった話(盛ってません)

大きな声では言えない内緒の話


幼少期

1965年京都に生まれる。
体が小さく虚弱体質だった。しょっちゅう入院していた。
幼稚園入園の日に大泣きしたこと、お遊戯会で踊ったこと、
友達にクレヨンを折られて泣いたことを憶えている。
幼稚園の講堂で週に1回行われていたバレエを横目で見ていたが
ビンボーな我が家に習い事などする余裕があろうはずもなく。
「習いたい」とは言えず、ひとり悶々とする、あぁ悲しき幼稚園児。

5才頃、両親離婚騒動のごたごたで
宇治、滋賀と住み替える。


学生時代

小学生、中学生、高校3年生の春まで
滋賀で過ごす。

小学生の時のクラブは
バトン部とバレーボール部の掛け持ち。

中学の時は体操部。
小学生の時に見たコマネチに魅せられて入部したものの新入部員は2名。
先輩を入れても5名までだったような微かな記憶が。
しょぼい。

それでも持ち前の厚顔さでがむしゃらに練習をした結果、県大会で優勝したこともある。
単に体操やってる人間が少なかっただけ
との噂もあり。
しかし、そのお陰で常に大会では上位入賞だ。

体操に身を捧ぐ決心をした中学時代。
当然ガッコのベンキョはしなかった。
行く末を案じた担任が体操での一発芸入学(芸なのか?)を推薦してくれ
試験を受けずに高校入学と相成り候。

芸は身を助く、の見本。
体操で入学したのに、何故か新体操部しかない高校だった。
ちゃんちゃん。

その高校は国体強化校であったため、合宿に次ぐ合宿の日々。
ガッコに行った記憶、ほとんど無し。
いつまで経っても同級生の顔が覚えられない。
体育館と部室と家の三角形のみをエンドレスに回る生活。・・・私の青春を返して!!

この頃にダンスに出会う。
根拠無く「ダンサーになるんだ!」と決心。
でもCMで流れていた太極拳にも魅せられていたのも事実。
近場に太極拳教室があったら、きっと今頃は中国に住んでいた。

高校3年生の春、母、突然の他界。
芸人のサガか、葬式の一週間後にインターハイ予選。
楽勝で通過してしまう。(誰が芸人やねん)
四十九日が明けたその後、京都へ戻る。

夏の国体予選も通過し、クラブ漬けの高校生活は3年の秋まで続いてしまった。
・・・私の青(以下省略)
秋の国体後、ようやくクラブ活動引退。


ダンサー生活

国体遠征からの帰宅2日後には渡辺SJCの門を叩く。そしてほぼ毎日のレッスンを受ける。
入門2ヶ月後に初舞台。続いてその1ヶ月後にも舞台のチャンスを頂く。
あれよあれよと言ってる間に4月になり、建設関係の会社に父親のコネで就職。
ここでも試験は受けず。いや、芸はしてませんてば。
ダンスに夢中になっていたし、既にステージネームもいただいていた。

ある日
「7月からの東海道公演ツアーに出るか?」と渡辺センセに聞かれ
「出ます!」と即答しちまった。

・・・・3ヶ月で退社。
社長、すみません。お父ちゃんも、ゴメン。

嵐のような反対を押し切り、ダンス一色の生活に突入。
父とバトルする日々。親子の縁、断絶の危機。
今思ってもやりたい放題の、かなりの不良っぷり。
あぁ、積み木くずし。若かったなぁ。

ダンス一色の生活。アツイアツイ日々を過ごす。
忙しすぎだが、若かったから貧しくとも元気だった。
どれくらい貧しいか?ある時財布を見たら39円しかなくて泣けた。
その頃、不良ムスメの私は家出して当時の彼氏と同棲していたのであった。
本当にお金がなかった。でも毎日が輝いていた。

一番ハードな時期で一月に1回の本公演。
しかも新作。
しかも毎公演100枚以上のチケットノルマもある。
どうやって乗り切っていたのか・・・不思議だ。



低迷期

そうこうしているうちに、私も人の子(?)スランプにドップリとはまり込んでしまった。

もがく。苦しむ。喘ぐ。
今思い返してもゴーヤーを生で喰うより苦い思い出だ。

にっちもさっちもいかず、とりあえず半年間休養させてもらった。(逃亡の噂もあり)
しかし、諦めが悪く舞い戻る。またまたハードな生活に逆戻り。またまた落ち込む。

体力なし、気力なし、根性なし、お金もなしのないないづくし。
いつ辞めるかを自分と格闘しながら過ごす日々。
答を見いだせないままかなり強引な形で引退させていただくことにした。

コトブキ退社、といえば聞こえはいいが、単に逃げただけ。
自分自身から。
そしてダンス生活から。

えぇ、ホントに迷惑かけました。

結婚そして3年後に出産の一大イベント。

その2年後、友人であり人生の恩人である、栄久美子氏とBKstudioを設立する。
しかし、踊りに対する答は未だ見いだせず、
自分が踊ることはないものとしてダンス教務に携わり、
エステティシャンとしての研修も修了した。


天啓

ところが!バンバン!!(←机を叩く音)

スタバでコーヒーを飲みながら読んでいた本に天啓を受ける。
自分にとっての踊りの意味、意義が確立された瞬間。
いま思い返しても鳥肌が立つ。
ビビビどころじゃない。
雷で全身を貫かれたような感覚は今でも身の内に残っている。

一転、悩み苦しみが吹っ飛び「踊りが天職!」とかホザく。
今までのスランプは一体何だったんだ。

余りにも単純じゃないですか?恥ずかしくないんですか?

ふん。
真理はシンプルなのだよ、いつだって。
・・・以来、いろんな人を巻き込んで現在に至る。


感謝

試験を受けずに入学させてくれた山本(現・藤田)先生、高校の時の新体操部の顧問の徳井先生、
カンパニーの諸先輩、仲間、後輩のみんな、ありがとうございます。
今の私があるのもみなさんのお陰です。

そして、言わずと知れた大師匠の渡辺タカシ先生、
踊りのノウハウを身をもって教えて下さった今中友子先生。
とりわけ共に青春を疾ったMyu、Ai、Satomiの3人には深い感謝を捧げたい。

デビュー以来、私を大きな力で支えてくれた山下典子さん、安宮美千代さん。
苦しい時に励ましてくれた「しらゆり会」のみんな。
久美ちゃん、悦ちゃんには本当に助けられました。

SJCでの舞台生活を支えて下さった皆さん、これからもよろしくお願いいたします。

最後にRei worksを共に立ち上げてくれた泉と戸津さん
そして無理やり巻き込んでる感ありまくりのスタッフのみんな、
シュワちゃん、アユミちゃん、ユニちゃん、ヨーコさん達にSpecial Thanks!

そしてなにより
私の作品にメンバーとして出演してくださっているメンバーのみなさん。

文句も言わず私の活動をほっておいてくれるFamily。

Thank you very much, Everyone!

今後ともお見捨てなきようお願い申し上げます。